私自身の内に響く声から対岸へと飛躍していくこと_佐峰存「対岸へと」

最近すっかり詩を読んでいなかったが、久しぶりに手にとった詩集がとても素晴らしかった。近所のリブロもなくなりその数年前には「ぽえむぱろうる」もなくなり書店に立ち寄る機会も減ってきているのも原因の一つではあるのだけども。
アメリカ生まれニューヨーク育ちの詩人。第21回中原中也賞の候補作でもある詩集「対岸へと」佐峰存を読む。

カメラで写真を撮るように言葉を媒介に景色を描写していく。
写真には光の反射しか写らないし、光学的な原理と化学反応で(デジカメであればセンサーで)なりたっているので作者の思いなどその表面には映るはずもない。機械を媒介とするのが写真の一つの魅力であって、内面(そのようなものがあるかわからないけども)や身体の身振りからの距離が生まれる。写真が現実をカメラという機械を通して自らの想像力から抜け出す側面があるように、言葉を機械のように使い景色を描写していく。

都市が溶け始め、メカニカルな生物のようにうねり言葉の推進力で内から外へ飛躍していく。都市生活者とその日常が主体が不在であるかのような、どこから発せられているかわからない言葉で紡がれ、機械や都市などのモノに直接、接続されているような詩集。はるか遠くの日本語堪能な宇宙人の言葉。

1、「湾」で都市を2、「気象」では生活が前面にでてきて3,「対岸へと」では視点はかなり俯瞰になり前の1,2がすべて解けあわされ、融合し最後にはおぼろげな希望のような夕暮れの湾岸をみているような読後感。

湾が広がっている せまってくる
遠ざかり 黒々とし鮮やかに
透明に 増え続ける
生態の柔らかな連鎖は生臭く
鋼鉄の空白に 食い込んでいく
「連鎖」

言葉が視覚的に立ち上がり1の「湾」では湾外沿いの都市の風景が描写される。夜の首都高を車で走っている時のような景色が立ち現われてくるが、都市が生命を持ったもののようにヌメヌメとした様相を呈する。都市という巨大な生き物であるかのような。

呼吸に茂らせた 葉の裏側に
指が産みつけられた 小さな卵
飾られた食卓も 足を覆う革靴も
鏡の中で剃り上げた脈も
振り切って思念は走る
一枝の告解を 壊さないように
「指に念じる」

この詩集のなかで最も肉感的で官能的な描写が続く一篇。「一枝の告解を 壊さないように」断ち切るようにはっとさせられる。

重力に真っ直ぐ落とされつつ
瞬間に 足を回し
両手で閉じ込め
熱を帯びた空 覆い被さり
真空へと
ペダルを引き込み
起点へと分解する
「走馬灯」

トンネルを抜け、海岸沿いの向こうに街が見え背後にはシルエットになった山の姿。夏の夜の特別な感覚と夜の自転車のむやみな暴走の快感が夏の終わりに心地いい。

 

さらされた指紋をつまむと
結び目が引き絞られて 一本ずつ
消したり 無限にしてみたり
液の蛍光に染まる 惑星の隊列
あなたは丘をのぼり
生まれていく 長い分子を引いて
腹の暗がりを伝って
繋ぎました 源へと
吸い取られて 静けさへと
「硬水」

夜が明ける朝の光景のなかでよくわからない期待感と全体感。撮影で早朝に起きることもしばしばあるのだが私は日常から飛躍できていない。重力に魂を引かれた悲しさ。

意固地な砂の生活がここにある
建造物も人も粒にのみこまれ
風が吹けば形を失い
雨が降れば地中に沈み
夜は硝子のように大地に光り
朝には鳥の群れとして舞い上がり
新しい太陽に群がる
またひとまわり 透明になる

砂は私をつくり
あなたをかたどり
私達が住み着いた都市を傾け
穴へと崩れていく
一つの喪失を背負い
共に 一日を重ねていく
「砂の生活」

都市や生活、それを取り巻く政治や経済それらを含め暗示される。決して否定的に捉えられているわけでなく、「穴へと崩れていく 一つの喪失を背負い」ながらも肯定していく。それでよいと続き、

互いの輪郭を隠し持ち
僅かな憩いを 明日へと運びながら
「砂の生活」

穏やかな連帯と希望が最後に示される。

打ち上がった脊髄は
月から重力へ 粉々に帯となり
露わな口元を流れていく
卵のような氷河の動悸
鳥達が向かっていったのは

「黒い森から」

最後の一篇。これまで出てきていた金属感や機械のようなものは有機物に覆われていく。対岸へと、読んでるものを連れて行く。

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