「はやとさん危ないのことよ。」
一人暮らしの頃よく通った同じ年の仲の良い中華屋の店主が、その体には小さすぎる厨房から興奮して身を乗り出してきた。店内のテレビからはその日の昼間に起こった福島第一原発の水蒸気爆発が映し出されている。
彼が日本に来たのは高校生の頃、親が日本に働きに来るのに一緒についてきた。神保町にある中華料理店で働き、その後二十歳の時に上海に帰り調理師に免許をとるために3年間上海に戻る。1級の調理師免許を取ると国外に出れないらしくむしろ2級であることを誇らしげに語っていた。
上海にいる時に出会った女性と結婚し子供をもうけたが出稼ぎのためまた日本に帰ってくる。ようやく店を出して家族を日本に呼ぼうとした矢先に離婚してしまい、その時多額の慰謝料をとられ一度は貯金がそこを尽きたそうだ。本人曰く、高級車が買えるくらいらしい。 何より堪えたのは娘の親権を元妻にとられたことだといっていた。
離婚のあと朝から飯田橋の弁当屋の仕込みのバイト、昼からは神保町の中華店で夜まで働き、やっと彼は母親と二人で5人も座れば一杯になってしまう小さな中華屋を駅前に持つことができた。
「女の人は怖いねー」向かいの席に座り、よく言っていた。
いつも一段落すると厨房からでてきて話し好きな彼は、向かいの席にウーロンハイ片手に座って身を乗り出して話した。
「はやとさんどうするのこと?」
「何を?」
「東京危ないのことよ。色々ふってくるのこと」
「仕事も東京だし、実家も東京だしこのまま東京にいると思うよ」
「純ちゃんは上海に帰ろうかと思ってるよ」
「えっ、帰っちゃうの。大丈夫じゃない福島結構遠いよ」
「あぶないのこともあるし、上海にいる娘と一緒に暮らしたいのこと。ipad買って送ってあげたのこと」
「そうか。それはしょうがないね。日本には娘呼べないの」
「上海にいないと親権を取り戻せないのこと」
その後一ヶ月ほどで、店を閉めて上海に帰ってしまった。運転免許を持っていない彼は成田空港に送って行く車内でなんども車を運転して東京を走ってみたかったと言っていた。
それから数ヶ月後スカイプの着信があり出てみると彼だった。
「久しぶり。元気のこと」
「ああ、元気だよ。どう上海は?」
「娘と今暮らしてるよ。楽しいねー」
「それは良かったね。今なにしてるの?。料理人?」
「中国は料理人だらけのこと。給料安いねー」
「じゃ何やってるの?」
「ホテルの送迎ドライバー。」
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