3月10日から大阪でグループ展に出展します。今回はいま撮影している新作のうちの一部展示する予定でいます。
二年前の春、個展をしたときに訪れてくれたペットとは無縁だと思っていた綺麗好きな友人が、会場で猫について一時間以上も熱弁して帰った。丁度その頃、彼は猫を飼うための準備で色々なキャッテリー訪問をしている最中らしく聞いたこともないような猫の名前が出てきていたが、さっぱり具体的なイメージは湧いてこなかった。猫の種類は野良猫とそれ以外、毛が長いほうが高級な猫なんだろうというぐらいの認識だった。それから半年ほどたったころブリーダーさんのところに遊びに行くから行かないかと誘われてはじめてキャッテリーと言うものにいくこととなった。キャットショーの準備をしていて色々と話しをしながら手伝ったのを覚えている。そもそもキャットショーというものの存在とそこで何が行われているかも全くその時は知らなかった。
翌週友人が猫を出陳(キャットショーに猫を出すこと)するというので、キャットショーに言ってみると100頭近くの猫が集まってジャッジと呼ばれる人に審査されて、色々なリボンがケージに付けられ審査が進められているようだった。どの色のリボンがどんな意味を持っているかもわからなかったので目の前で見ているのだけどもなにが行われているのか全くわからなかった。更に見たこともない猫が次々ケージからだされて体を伸ばされたり、猫じゃらしで遊んだりして審査されていく。あまりにも不可解な状況が一日続いた。
後日キャットショーの仕組みを調べて見たらとても複雑ではあるけども合理的なルールとスタンダード1(各猫種の特徴、その理想とする最大公約数の形状を表記したもの)という理想に向かう美学があった。非常にざっくりと全体像を書くとするならスタンダードにそってブリードし、それをブリーダーの主観的な価値判断に偏らないようキャットショーというシステムで客観性を保つということが行われている。
今まで猫については野良猫と近所のホームセンターのペットショップ、最近ペットとして流行っているんだろうぐらいしか認識していなかった。猫だけに限った話ではないがまるで違うアプローチで物事を見る方法があることを知ることはとても興味深い。
言葉で示された理想を解釈し、創り上げる。コントロールすることができない自然の側にあるものと決して到達することができない理想の間。理想とか正しさみたいなものは理解はしていてもも必ずそこには現実とのズレや揺らぎは存在するものだし、それにもましてコミュニケーションが非常に困難な存在なので途方にくれる。
写真をみれば当然静止しているけども、実際の撮影は猫のおもちゃで遊びながら動き回っている動きのなかの一瞬を写真で撮影している。写真に写っているように思ったところで座っていてくれるわけではないので、猫の気を引けそうなものを事前に買い揃え撮影用のおもちゃを手芸店や釣具店を周り自作して、撮影セットの裏に隠れてしまった猫をなんとかおびき寄せる。祈るような気持ちで「こちらにおいで」と目で訴えかけてもまるで期待には答えてくれない。最近では先日見た「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンの顔がシンガプーラという猫に似ているなといつの間にか日常にも侵食してくる始末。
このような経緯で今回のグループショーではまだ習作ではあるけれども、猫のスタンダードについての作品を出す予定でいます。この先どう展開していくか自分自身まだわからないところも多々あるのですが、お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りいただければ幸いですにゃ。
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