作品の搬出のタイミングで彼女と池袋で待ち合わせて新潟に向かった。まとまらない論点と弛緩した集中力の中で会話をしているうちに、かつて日本がホイチョイだった頃に建てられたリゾートマンションが並んでいるのが見えてくる。
テスト氏が学生の頃ボランティアとして芸術祭に参加しホイチョイしていたと聞いたときは、作品から受ける人物像との乖離に驚いた。彼女も意外なんだけどと前置きしつつ話している。
学生時代にホイチョイできるのは楽しそうではあるのだけど、その頃の私はホイチョイに抵抗があった。というよりもただ斜に構えていただけかもしれないし、何事もやる前に考えすぎて若者として無軌道な資質が足りていなかった。ホイチョイするほうが楽に生きれるのは間違いないとは思うけど、そもそもなぜホイチョイする必要が有るのかを考えて、答えが出る頃には大抵はそれは終わっている。しょうがない。
ピタゴラスイッチからブンバボンにいたる登園前の完璧なルーティンの素晴らしさについて話していると、
「ピタゴラスイッチの元ネタのタイトルなんだっけ?」
「元ネタのほうがずいぶん雑な感じだけどね」
「フィシュリなんとかのだよね。昔、横浜にもきてたよね。あれ、なんだっけ?」
「着ぐるみ来て、山登ったり、ギャラリーに行ったりする作品もいいよね」
「というかそっちのほうが好きだな。なんだっけ?タイトル」
「The Right way」
「正しい方向」
MICHIKO NAKATANI
http://www.milmil.cc/user/miaart/gallery1.html
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